今年、『ローマ人の物語』の塩野七生が文化勲章を授与されました。
私の友人は全15巻の中でカエサルのガリア戦記の話が最も面白かったと言っていました。
確かに、作者のカエサルへの肩入れしすぎ感はありますね。
カエサルは北方への遠征中に2度もイギリスまで足を伸ばしています。
イギリスの世界史初登場の巻です。
本格的なローマ軍のイギリス進出はカエサルの遠征から約100年後の西暦43年です。
イギリス南東部を占領し、その後に北部・西部・南西部を占領し領土を増やします。
北部民族が暴れ出したので、ハドリアヌスの長城・アントニヌスの長城を築いたのは卑弥呼とちょっとダブる時代です。
それで、ローマから遠い辺境の地でローマ軍は長期にわたってどのように食料を確保し供給していたのでしょうか。腹が減っては戦はできぬですからね。
ローマ軍1軍団の兵士5500人を養うだけでも、広大な地域のかなりの農業資源を管理し、生産者から消費者に再分配することが必要です。
ところが、何を食し、それをどこで生産したか、供給経路はどのようなものだったか?
これらが実はほとんど未知のままでした。
今年の夏、イギリスの考古学研究所、カージフ大学の歴史・考古学研究室、イギリス国立地質調査所がイギリスの2地点でローマ帝国軍の実態調査を行(おこな)って、
食料に関する疑問を解明できたとANTIQUITYという考古学に関する学会誌に発表しました。
(この学会誌はケンブリッジ大学出版が発行元で、編集はダラム大学考古学部です。)
簡単にまとめますと、
北方のハドリアヌスの長城(紀元120~220年頃)には5つの補助砦に対して1つの大型の補給基地(長城の中央あたり)がありました。
アントニヌスの長城(AD142-165 年頃)には2つの補助砦と補給基地がありました。
補給基地だけでは食料が足りない場合に備えて、食料供給用のネットワークができていました。長城の南部に広がる牧草地が補給基地への供給源です。
当時のローマ軍の主食は肉でしたので相当数の動物が飼育されていたと思われます。
今でもこの地域は見渡す限りの牧羊場が広がっているので、これはローマ時代から続いているのかもしれませんね。
南ウェールズ(AD55~200年頃)では、2つの軍事要塞に2つの補助的要塞、それらの周辺に3つの農村集落がありました。
牛、羊/ヤギと豚それぞれの25%程度は地元地域以外の、少なくとも150Kmか更に遠くから持ち込まれたものでした。
とまあ、あ〜なるほどねーって感じでしたが、
今回のブログで書きたかったことは、
研究方法についてです。
この研究成果は歴史学と考古学、科学を融合させて生まれました。
具体的には、ガリア戦記などの文献や補助軍の基地の遺跡から発見された当時の守備兵の風俗を伝える大量の木簡文書と科学です。
科学は同位体分析で行われました。一般的には単一の同位体で行われますが、今回は複数の同位体を使っています。これは面白い試みです。
炭素と要素同位体分析で、何を食べていたかが分かります。
硫黄同位体分析では食料となる動物がどのような環境(海の近く、湿地帯、内陸)で飼育されたかが分かります。
3つ目のストロンチウム同位体分析では動植物がどの地域から持ち込まれたかが分かります。
それで、ヒトの移動や食料の流通の発達を知ることができるようになりました。
科学分析により消費された主な食物群の起源を明らかにすることができたので、要塞や砦への食料供給網を特定でき、ローマ軍がニーズを満たすために家畜と牧場の管理戦略(肥料、飼料、食事など)を構築し農業を強化していった様子を解明することができました。
以上から、イギリスの地方が植民地化されると同時に先住民が「ローマ化」していくという過程を理解する一助になったということでした。
ちなみに、ストロンチウム同位体分析での動物サンプルは歯のエナメル質を削って得ます。
ほんのちょっと歯医者っぽい話。
炭素と窒素同位体分析でよく用いられるのは毛髪です。