先のチャンピオンズリーグでバルセロナがミュンヘンにボロボロにされたのは、
ワールドカップ・ブラジル大会で開催国がドイツにケチョンケチョンにされて以来の衝撃でしたが、バルセロナの美しいフットボールは世界中のフットボールファンを虜にしています。
バルセロナのスタイルは*トータル・フットボールを編み出したミケルスが土台を作って、彼の元で活躍したクライフが発展させ、そのクライフの弟子だったグアルディオラが開花させたと言われています。
「我々がボールをキープし続けていれば、相手は永遠に得点することはできない」と言ったのはクライフですが、それを如何なる相手にも実践してきたのはグアルディオラの時代です。
そんなバルセロナのスタイルの大元であるトータル・フットボールを最初に考え出したのは、Wikipedia(英語版)によればイングランドのジミー・ホーガンということになっています。
ジミー・ホーガンってあまりに古い昔の話なので年代順に列記します。
*トータル・フットボール
1974年のワールドカップ西ドイツ大会で、ミケルス監督率いるオランダの戦術に感嘆したメディアがトータルフットボールと命名しました。チーム全員が攻撃と守備に頑張るという戦術で、選手はポジションを変えながら相手のいない場所を作ってボールをキープし続け、もし相手にボールを奪われたらすぐに取り返しにワーッと行って攻撃に行く!クライフがいたので出来たとも言われています。
イングランドの地方でバラバラだったルールを統一したのが1863年。
世界で統一ルールが誕生したのが1871年。
当時はイングランド一強時代でしたが、スコットランドが待ったをかけます。ロングキックとドリブルでグイグイ押してくるイングランドに対して、スコットランドがショートパスとドリブルで攻撃するという戦法を1870年代に開発します。
この戦法にイングランドは歴史的大敗北。
それで、イングランドもパス作戦を採用し始めます。
1900年代にはイングランドのどのクラブチームもショートパス攻撃を行うようになりました。
1910年、オランダに遠征したイングランドのクラブチームは10ー0で完勝。
あまりに稚拙なオランダにショートパスの戦術とその戦術を理解し実践できるスキルを教えるためにこの遠征に参加していたジミー・ホーガンが再度オランダへ行きます。
1913年、選手を引退したジミー・ホーガンはオーストリアのコーチとしてヨーロッパ大陸へ渡ります。1930年代のオーストリアはヴンダーチームと呼ばれ、当時のヨーロッパ最強チームになりました。
1936年までオーストリア以外にもハンガリーやドイツのチームをコーチして母国に戻ります。
ジミー・ホーガンがハンガリーやドイツで指導した選手がやがてコーチとなり、フットボール強国へと発展させます。イングランドは本拠地ウェンブリーでは英国内チーム(スコットランドやウェールズ)には時々負けているんですが、それ以外は無敵でした…1953年までは。
初めてイングランドに土をつけたチームがハンガリーでした。マジックマジャールの誕生です。
このときジミー・ホーガンは裏切り者扱いされました。
以上が、ジミー・ホーガンがヨーロッパ大陸のフットボールを強くした「元祖」であり、トータル・フットボールの「生みの親」と言われている所以です。
ミケルスはヴンダーチームを参考にしたと言っているので、
トータル・フットボール=ジミー・ホーガンっぽい話になりますが、実際のところ彼は選手の技術指導をしたのであってシステム作りには関わっていないという説があります。
インターネットのない時代とはいえ1870年代から始まったショートパス作戦は大陸にも伝わっています。
更に、*イングランドのクラブチームはルールの改正に適応していろいろなシステムをそれぞれのチームが編み出します。
例えば、トップ下に得点能力の高い選手を置くというシステムはすでに1880年代にダービーカウンティというチームが採用しています。
如何にして攻撃側に有利なスペースを作り出すか、それは100年以上前から考えられていました。
左右の選手が入れ替わり攻撃に参加するというスタイルでイングランドを撃破したマジックマジャールの戦法も代表チームでは初めてだったかもしれませんが、いくつかのイングランドのクラブチームではすでに行っていました。
(でも、大体のチームはコーチの指示に忠実のあまりポジション・チェンジに対応しきれていませんでしたが。)
そんなわけで、ジミー・ホーガンがオーストリアに渡ったとき、ヴンダーチームの監督はいろんなチームの戦術を参考にして自国チームに取り入れていたので、彼らはすでに流動的なフットボールをしていました。
ジミー・ホーガンがトータル・フットボールの概念を植え付けたと言うのはかなり無理があります。
*イングランドはクラブチームを最優先にするという特徴が昔からあって、実際、
イングランド代表チーム暗黒時代の1970年代、代表は散々でしたが、ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップではイングランドのチームが6連覇しています。
1980年代のフーリガン事件がなければ更にイングランド時代は続いていたかもしれません。
クライフはバルセロナの目指すサッカーにあった選手を育てる育成システムを作り上げました。パスを繋ぎボール支配率を高めることで試合の主導権を握り続ける攻撃的なサッカースタイルを理解し動ける選手を育成するのです。
そこで育ったのがメッシやシャビ、イエニスタらでした。
素晴らしいシステムを考えた監督は各ポジションにそのシステムを理解して動ける選手を必要とします。それらの選手を金にモノを言わせて取ってくるのではなく育てるという思想があるのもバルセロナの魅力でしょう。
さて、ジミー・ホーガンですが、彼はシステムを理解しそれを全う出来る選手を育てるということを始めた最初の人物だったようです。
彼の哲学は今も続いていますから、間違いなく名コーチです。
彼はオランダのトータルフットボール凱旋の2年後1974年に91年の生涯を閉じています。
〜追記〜
今のフットボールは組織で連動する時代と言われていますが、それは今に始まったことではないことがお分かりいただけたかと思います。
しかし、1986年のマドラーナだけは唯一個人で組織を打ち破った選手でした。クレージーで卑怯者でしたけどね、アディオス・ディエゴ!
ワールドカップで世間をアッと言わせて今日まで語り継がれるフットボールをしたチーム、1954年のハンガリー、1974年のオランダを決勝で破ったのはともに西ドイツでした。
ペレはワールドカップで3回も優勝していますが、西ドイツとは一度も対戦していません。
ペレ対西ドイツ、見てみたかったなぁ。